みんなが歌う省悟さんの歌の中に、彼がいる

トリビュートという言葉を英和辞書で引くと、賛辞、賞賛のしるし、敬意のあかし、ささげ物といった堅苦しい日本語が次々と飛び出してくる。音楽の世界では、あるミュージシャンやその功績を称え、仲間のミュージシャンたちがその人の作品を取り上げ、歌ったり演奏したりしているアルバムのことがトリビュート・アルバムと呼ばれている。多くの場合、そのトリビュートは、すでにこの世を去ってしまったミュージシャンに向けられる。

「やくそく」というタイトルがつけられたこのトリビュート・アルバムの主人公、坂庭省悟さんもまた、とても悔しくて残念なことに、ぼくがこの原稿を書いている今日この日のほぼ二年前、2003年12月15日にこの世を去ってしまった。省悟さんと親しかった人たち、彼と一緒に活動をし、彼のことをよく知る人たちにとっては、いくら長い歳月が過ぎても、悲しみは癒えることはなく、それどころか日ごとに寂しさが募っていくばかりだ。それでもいつまでも悲しみや寂しさの中に沈み込んでいてはならないと、省悟さんとうんと親しかった人たちが中心となって、今年の春あたりからこのトリビュート・アルバムの制作が開始されることになった。

そして省悟さんとゆかりのあるたくさんのミュージシャンたちが参加し、みんなが省悟さんの歌を歌ったり、演奏したりして、この「やくそく」ができあがった。省悟さんの音楽仲間たちの、省悟さんと彼の音楽に対する、深くて大きな敬意、感謝、愛情、賞賛、すなわちトリビュートの思いが、アルバムを聴いた人誰にでも、痛いほど伝わってくる素晴らしい作品に仕上がっている。

しかし「やくそく」はそれだけではない。参加したみんなの省悟さんへの熱い思いがアルバム全体に溢れているだけではなく、それと同時に、省悟さんが歩んだ道、彼が切り開いたもの、彼が残したものが、浮かび上がってくる作品にもなっている。それゆえにこのアルバムは、まさにトリビュート・アルバムの中のトリビュート・アルバムになっていると、ぼくは強く思う。

恐らく多くの人たちにとって、坂庭省悟といえば、まず思い浮かぶのは、70年代初めのはしだのりひこ&クライマックスでの活動。そこでの大ヒット曲『花嫁』、そしてそれに続く高石ともや&ザ・ナターシャー・セブンでの活動かもしれない。しかしこのアルバムを聴くと、そうした誰もが知っている「ポピュラー」な坂庭省悟ではなく、その後彼がどんな活動をしていたのか、彼がどんなことを目ざしていたのか、その豊かで幅広い「軌跡」が自然と浮かび上がって来る。

ぼく自身、省悟さんと初めて出会ったのは60年代後半、彼がマヨネーズのメンバーで、ぼくが関西フォーク運動の真っただ中にいた頃と、時期こそ古いが、その後あまり会う機会がなく、彼がこんな面白いことをやっていたのか、こんなすてきな曲を書いていたのかと、このアルバムを聴いて初めて知って、驚かされることも多かった。今さら言ってもどうしようもないことだが、いろんな時代、いろんな場所でもっと省悟さんと一緒にいろんなことをいっぱいやりたかったと、そのことが悔やまれてならない。

さまざまな人たちのさまざまな思いが込められ、省悟さんのこのトリビュート・アルバムには、「やくそく」というタイトルがつけられている。「やくそく」ということで言えば、多くの音楽仲間、とりわけ60年代後半あたりから歌い始めた初期のフォークの仲間たちの間で交わされた約束があったとするなら、それは「いつまでも歌い続けよう」「いつまでも自分の好きな音楽をやり続けよう」というものだったはずだ。その約束は、口に出されることもあっただろうし、無言のまま交わされることもあっただろう。省悟さんとぼくも、その約束は交わしていた。このアルバムに参加しているミュージシャンとも、省悟さんはきっと交わしている。そしてその約束どおり、坂庭省悟さんは、60年代の後半から、2003年12月までの35年以上、自分の好きな歌、自分の信じる歌を、作り歌い続けたのだ。

このアルバムに耳を傾けていると、みんなが歌う省悟さんの歌の中に彼がいるのがよくわかる。『山よ川よ海よ』は別として、彼のあの高くてハスキーな声は聞こえて来ないかもしれないし、見事な腕前のギターやバンジョー、マンドリンの音は聞こえて来ないかもしれない。しかしみんながトリビュートしている省悟さんの歌の中で、彼も絶対に一緒に歌っているし、嬉しそうに笑いながら楽器を弾いている。

みんなと約束を交わした坂庭省悟さんは、あまりにも早くこの世からいなくなってしまった。でも彼はこれから先も、「いつまでも歌い続ける」という約束を守ることができる。まだこの世にいるぼくらが、省悟さんの歌を歌い継ぎ、彼がやりたかったことをやり続けることで。それこそがまさにトリビュートということなのだぼくは思う。

2005年12月20日  中川五郎

中川五郎さん
60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動の中心に。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳を行う。
アルバムに『終わり・始まる』(1969年、URC)、『25年目のおっぱい』(76年、フィリップス)、『また恋をしてしまったぼく』(78年、ベルウッド)など。2004年の春には26年ぶりのアルバム『ぼくが死んでこの世を去る日』をリリースし、最新アルバムは2006年秋の『そしてぼくはひとりになる』(シールズ・レコード)。著書に音楽の原稿を纏めた『未来への記憶』(話の特集)、70年代のフォーク・リポートわいせつ裁判に関する文章をまとめた『裁判長殿、愛って何』(晶文社)、小説『愛しすぎずにいられない』(マガジンハウス)、『渋谷公園通り』(ケイエスエス出版)、『ロメオ塾』(リトルモア)、訳書に『U2詩集』や『モリッシー詩集』(ともにシンコー・ミュージック)、ブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、紀行文集『ブコウスキーの酔いどれ紀行』、晩年の日記『死をポケットに入れて』、ハワード・スーンズによる伝記『ブコウスキー伝』(いずれも河出書房新社)、ハニフ・クレイシの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、紀行文集『ブコウスキーの酔いどれ紀行』、晩年の日記『死をポケットに入れて』、ハワード・スーンズによる伝記『ブコウスキー伝』(いずれも河出書房新社)、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ミッドナイト・オールデイ』、『パパは家出中』(いずれもアーティスト・ハウス)、『ボブ・ディラン全詩集』(ソフトバンク)、ダグラス・A・マーティン『彼はぼくの恋人だった』(東京創元社)などがある。
執筆活動を続けると共に、日本各地でさかんにライヴ活動を行なっている。